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既製品のお茶碗と、自分が陶芸体験で作ったお茶碗、どっちに愛着を持ちますか? 

 
先日、陶芸体験で作ったお茶碗が自宅に届きました。
めっちゃ不恰好(笑)売り物には程遠い!
既製品はさすがにきれいにできてるなあ、と改めて感心しました。
 
 
でもその不恰好なお茶碗でご飯を食べた時に、僕はやっぱり幸せな気分になった訳です。
子供と陶芸体験に行った時のことを思い出しながら食事しました。
 
 

手段が提示され、それをやってください、と言われる役員の仕事説明

ここは役員の仕事説明をされている場面に立ち会ったことがないので、推測ですが・・・。
手段が既に提示されているのではないかと思います。余白がない。工夫代がない。
そこに前年度うまくいっていない様子などを目の当たりにしていたら、「なんでうまくいっているように見えないやり方を押し付けられ、自分がやらないといけないの?」となってしまうのも、本当に自然なことだと思います。
 
 

提示するのは目的だけで良い

例えば広報係だったら、「読みたくなるPTAだよりを作ってください」とか、「これまでのPTAだよりを見て、もっとこうしたら面白いだろうにと思ったことを実現してください」といったゴールだけを提示して、あとは広報係の裁量(余白)として取り組んでもらうというのはどうでしょう?
 
 
僕も、お父さんで面白いイベントをしてください、とだけ言われたので、お父さん連中で集まって自分たちの思いをぶつけたイベントを企画しました。成功も失敗もありましたが、「自分たちで決めたこと」だったので強い思いで臨むことができましたよ。
 
 
エゴサーチをしていると役員決めの際に、すでに余白がない状態でスタートしている学校も多いようですが、もし少しでも発言ができるのなら、「・・・な方法でさせていただけるのなら、やりたいです」というふうに、自ら余白をいただくよう働きかけても良いかもしれません。
 
※決して無理に発言なさらないでくださいね。